No.01 友人 瀬上裕司1



友人 瀬上裕司1

1、全国制覇の誇り 春日部高校2代目監督である恩師小原先生は、初代関根監督と同じく多くの名選手を 育てた。インターハイ表彰台に、何人もの先輩達がのぼった。しかしその17年の間、 意外にも「全国優勝者」はたった一人しかいないのである。それが同期の友人、瀬上 裕司である。 奈良国体円盤投げ優勝。しかしそこに至るに、多くの出来事があったのを忘れない。 私自身は何の力もなかったが、友人としてその全ての遠征試合に立ち会えた事を誇り に思っている。 瀬上は親子鷹である。お父さんは、春高でインターハイ円盤投げ準優勝の名選手だ。 医学的に親子は、50%以上遺伝する。運動適正も、努力因子も。友人の瀬上や、そ の弟を見れば、医学的裏付けが証明できる。 2、愛知インターハイ 瀬上は高校2年で、すでに県大会優勝?全国ランクは10位くらいだったと思う。し かし調子を崩した宇都宮関東大会では、無念の5位。「埼玉で優勝したのに・・」と、 悔しい思いをした試合だった。 その雪辱を晴らすため挑んだ、夏の「愛知インターハイ」。競技場は気温38度との 発表があったのを思い出す。うだるような暑さ。なかなか記録が伸びない。3投目が 終わって無念の第9位・・・ベスト8を逃してしまった。「技術と、パワー」の円盤 投げの難しさ。その中で2年生としては健闘したとも言えるが、瀬 上は満足してい なかった。なぜなら優勝は2年生。奈良添上高の小川選手であった。また埼玉県大会 で勝っていた、他校の3年生が入賞した事もあって、本番で力を出せない自分に悔し がっていたのを覚えてる。その悔しさをバネに、瀬上は冬季練習に臨んだ。 筆 のもと歯科 次の記事へ>>