DiaryJoinE-listAvenuesCollegeLifeGo to Top

N0.2 友人 瀬上裕司2



友人 瀬上裕司2

3、幻の高校新記録 3年生になってケガもなく順調に仕上がってきた。いきなり県大会で54m96をマー クした。十数年後の現在でさえも、インターハイ優勝出来る記録である。当時高校歴 代4位だったと思う。16年もたっているが、それでも現在歴代13位に位置する。 もちろん大幅な県高校新だったが、しかし実際にはもっと飛んでいたという裏話があ る。県大会レベルでは、瀬上と2位との差は9mもある。審判員の先生も、瀬上の番 になると10mくらいバックせねばならない。最高記録を出した時、審判員も慌てる くらいの位置であり、到達痕跡のマークを誤ったというものである。これはある審判 の先生に後から聞いたもの。「あきらかに55mは超えていた。しかし飛び過ぎて、 痕跡を見誤った・・」との事。今となってはどうにもならない事だが、56mの当時 の高校記録を超えていたかも知れない・・と思うと、非常に残念な気がする。    この後の上尾関東大会では、プログラムの表紙を飾る程、注目されていた。もちろん インターハイは、前年優勝の小川選手との争いは間違いないのだが、8月になっても、 どちらも高校新記録は出なかった。しかし相手は2年生にしてインターハイ3冠の「怪 物」である。全日本中学も砲丸を制している「エリート」だ。今年も連覇を狙う「優 勝候補筆頭」であるのは間違いなかった。 4、秋田インターハイ 瀬上は総合開会式で、埼玉を代表して「旗手」をつとめた。全競技(陸上以外も)の 選手団を、春高の友人が先導して行進している。NHKでも放送されたと思う。「重た い旗を持って、大丈夫かな?疲れないといいけど・・私も行進しながら、少し心配に なった。(そう言えば、シドニー五輪では、ハンマーの室伏選手が旗手を辞退してい る) 瀬上の投てきフォームは、高校生の域を越えている。陸マガに「高校生でありながら、 社会人を入れても見劣りしないテクニック」と評される程だった。そして、彼が好記 録を出す条件がある。投てき選手にしては、きゃしゃで跳躍選手かと思われる程の体 格。(もちろん必要な筋肉は発達させてあるが・・)50mオーバー選手にしては、 体重が軽すぎるのである。従って円盤に体重がかけられないため、切れのスピードで 投げている。つまり向い風に乗せて円盤を運ぶタイプだ。ベストを記録した県大会も、 向い風が吹いていた。 瀬上のお父さんも見守る中、予選を余裕でトップ通過し、決勝に行く。みんな「10 0?近い巨漢」ばかりだった。瀬上とは30?近い体重差がある。私は「インターハ イにもなると、みんなでかいなぁ・・」と、少し心配になった。さらに運悪く、ホー ムストレートを向い風が吹いていた。瀬上の円盤投げには追い風となって、失速が心 配された。 淡々とラウンドは進んで行く。 インターハイに行く度に「雑誌では華々しく記載されるが、現場は実に落ち着いたも ので、意外にシーンとした雰囲気があるなあ」と、毎回感じる。確かに県大会の様に 顔見知りもいないので、選手同士の雑談もない。緊張感のなか、試合は予想通り奈良 添上の小川選手とマッチレースになった。前半は瀬上がトップで折り返す。しかし4 投目に逆転を許してしまう。我々も息を飲む。力で持って行く小川選手の方が、風的 に有利である。瀬上はやはり風をつかめず、自己記録に及ばない。小川選手は大会新 をマークして、引き離しにかかる。 一瞬でも風が廻って欲しい!・・・しかし願いも空しく2位の位置をうごかせなかっ た・・・・。風向きも変わらなかった。添上の小川選手が2連勝。終わってみれば、 ベストエイトの平均記録は過去最高となり、インターハイ史上最もハイレベルな円盤 投げとなった。瀬上は昨年の9位から、堂々の準優勝である。本来なら大喜びしそう な話しだが、高校記録も期待されたため、いささか消沈してしまった。やはりお父さ んと同じ「全国2位」で終わってしまうのか・・?(全国2位は「すばらしい快挙」だ と私は思っているが・・) シーンとした雰囲気で、その日の夕食は終わった。ただ次の日にも砲丸投げを残して いたので、まだまだ気は抜けない。 5、逆転の砲丸投げ 気を取り直して、翌日の砲丸投げ決勝へ臨んだ。円盤と異なりランキングは2、3番 ではなかったと思う。それでもベストは、16m60を越す優秀なモノだった。昨年 も、添上の小川選手が円盤同様勝っていると思う。彼は円盤と合わせ、「2種目連覇」 の偉業がかかっているらしい。余裕で17mを越していった。優勝はほぼ手中に収め た。一方瀬上は、ベストエイトが決まっても、5投目まで瀬上は5番手だったと思う。 16mに届いていない。険しい表情で最終6投目に挑んだ。見ている我々も緊張する。 砲丸は大きな弧を描いて伸びた。16mラインを越えた!「よおおーし!」「やった あーっ」我々も声を上げた。16m50を越えて、一気に2位へ逆転!お父さんの瀬上 先生も喜んだ。小川選手に圧倒されて、みんな記録が伸びない。16m台が密集して、 砲丸投げは終了した。堂々の準優勝!円盤と違い、これは嬉しかった。瀬上に笑顔が 戻った。 円盤に続いて表彰式に立ち合った。母校友人が表彰台に登っていると、感激する。や はりたいしたものである。インタビューで小川選手が語った。「2種目とも瀬上君に 追い上げられて、あせった。しかしそれで奮起した。円盤は57m投げたかった。翌 日の砲丸は、円盤の疲れがあって18mに届かなかった。どちらも瀬上君が気になっ た。」とコメントしている。 そのころトラックでは、男子400mR決勝が始まっていた。なんと草加南が優勝して しまった!(意外にも埼玉勢では初めて)・・・・ 6、総合5位、そして・・ 春高は10点獲得インターハイ総合5位となった。フィールド部門3位。(当時1位 が6点制) 小原監督はシーズン前「インターハイ総合優勝!」を、密かに考えていたらしい。我々 は昨年まで400mRで草加南に競り勝っていたため、不可能ではない複雑な気持ち。 県新人では大会新で草加南を押さえ、優勝していたのである。何せ春高は、エースの アンカーを抜いて、メンバーNo5の私(鈍足な幅跳び選手)が入っても、関東は通 過できるくらい速かったのである。しかし県大会で、痛恨のバトンミスを犯し我々は 失格していたのだ。他にもインターハイ入賞している草加南の短距離選手にも、春高 のエースは勝っていた(10秒7くらい)。しかし県で肉離れリタイヤ。リレーも失 格。短距離陣は全滅してしまってのインターハイだったのである。総合優勝は奈良添 上の18点。春高は投てきだけで10点。トラックで得点可能だっただけに、全国総 合上位も十分現実性があったのである。 しかし春高の場合、過去にも先輩方の総合優勝へのチャンスは幾度かあったわけで、 「もし・・・だったら」を言えばきりがない。 その無念な思いの一部を瀬上は晴らしてくれる事になる。戦いの場は、小川選手の地 元、10月「奈良国体」へ続いていく。 付け加えておくと、このインターハイで活躍した埼玉選手は、マラソン五輪代表の川 嶋信次選手(飯能高)現旭化成が、1500mで準優勝。埼玉栄の城島直美選手が1 00mHで1年生優勝を飾って埼玉選手団でわいていた。栄王国時代のスタートとなっ た。 筆 のもと歯科 <<前の記事へ 次の記事へ>>