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No.07 伊東孝司選手の足跡



伊東孝司選手の足跡

   報徳学園。いわずと知れた高校駅伝の超名門校である。 1985年(昭和60年)そこに一人の短距離選手が入学してきた。ただの高1選手 ではない。前年の400m中学チャンピオンである。選手の名は伊東孝司。 あの「黒人スプリンター以外の世界最高記録10秒00」を持つ。100mから40 0mまでこなせるマルチスプリンターである。一見順風満帆に見えた競技生活も、実 は紆余曲折の連続であった。 報徳学園は実は短距離専門の指導者がいなかった。そのため伊東選手は、はぼ独学で 練習を積まねばならなかったらしい。 まるでクロカンの様な走り込み。あるいは中学の恩師の元までいって、指導を仰いだ。 ただそんな環境でも「努力できる天才」である。とにかく理論よりも走り込んだ。 「量を積まなければオレはだめだ!」それが伊東選手の信念である。    高校3年の北海道インターハイ。しかし同期や、2年生には優れた選手が多かった。 (結果的には1年後に高校記録を更新し、4年後バルセロナ代表になる渡辺高博、そ れを追う奈良添上高の山本厚など・)決勝レースで、最初から伊藤選手は高校新を狙っ たらしい。前半超ハイペースでの200m通過。しかし最後までもたなかったと聞く。 そして3位入賞を逃してしまう。(たぶんね)そして2ヶ月後の沖縄国体。ついに雪 辱を果たし、高校新で優勝を飾った!46秒52をマーク。 その後、東海大へ進んだ伊東選手は思った程の躍進は出来なかった。あの高野進コー チと、練習法での食い違いも原因だった。「走り込みの多さ」を糧としてきたため、 高野進さんのいう「量から質」への移行がうまく出来なかったと言われている。もち ろん元高校記録保持者であるから、国内試合、インカレではそれなりに活躍出来た。 しかし一学年下の早大の渡辺(当時の高校記録保持者)にしてやられる。渡辺は45 秒台の日本学生記録をマークし、高野進に次ぐ日本の若手ホープとなる。   そんな伊東選手に、大きな衝撃が走る。 まずは、国内無敵の高野さんが、ソウル五輪で準決勝止まりであった事。なんせ自分 より1,5秒以上も速く、日本人では競り合う相手がいなかった程の人が・・。五輪本 番で44秒90を出したのに、あと一人の9番目で決勝から落選した。「44秒台当 たり前」の世界のすごさを痛感したという。もう一つは、自分もやっとバルセロナ五 輪のメンバーになれたのに、マイルリレーの補欠となって実際に出場出来なかった事 である。この悔しさが伊東選手を開眼させた。 日本人のフォームはなぜ黒人選手と違うのか?単純に筋肉の量だけの差ではなかろう・ ・?これをひもとかねば、世界との差は縮まらない。伊東選手は、尻部と、ハムスト リングにある「腰の周りの後ろ側の鍛え方」に着目し、改造に入った。 日本古来の「ももを高くあげろ」「手を大きく振れ」の延長とは、明らかに異にする フォームができあがった。もちろんこれは、400m46秒台、200m20秒台で走 れる「域」での話しである。        その後の躍進ぶりは周知の事実である。かつての高野進の様に、日本国内には競り合 う相手はいない程の差が生じるまでになった。一昨年、伊藤選手に埼玉で話して頂け る機会があって、後輩が傍聴できた。「毎日の歩き方一歩にも、ランニングフォーム を意識している」との事。天才選手は、やはり超努力家でもあるようだ。 アトランタ五輪が決まったあと、報徳学園監督が伊東選手を訪ねてきた。中長距離の カリスマである先生は、伊東に800mへの道を考えていたとの事だった。「400 mのスピード(高校新記録)を磨かせてからと思ってました。しかし彼は200m1 00mへと移ってしまって・・・(笑)」・・たしかにスピードがあれだけあれば、 1分48秒台は出そうである。180cmの身長もあるし、筋肉モリモリの100m 型でも無い。 報徳監督はこうも言っている。「伊東はとても素直な子だった。素直な選手は必ず強 くなる」毎年何十人も脚の速い子を見てきた監督を、そう言わしめるだけのものがあっ たのである。 中学1年 12秒1 中学2年 11秒3 23秒3 中学3年 10秒7 21秒8 50秒23 (全日本中学優勝) 高校1年 10秒8 21秒9 48秒47 高校2年 11秒2 21秒8 48秒6 高校3年 10秒6 21秒2 46秒52 (国体高校新記録優勝) 大学1年 10秒7 21秒92 48秒13 大学2年 21秒7 48秒63 大学3年 10秒7 21秒35 47秒09 大学4年 10秒7 21秒02 46秒53 富士通1年目 20秒96 46秒28 (バルセロナ補欠) 2年目 10秒52 20秒87 46秒34 3年目 10秒34 20秒44 4年目 10秒21 20秒61 5年目 10秒36 20秒29 46秒11 (アトランタ200m準決勝) 6年目 10秒34 20秒46 7年目 10秒00 20秒16 46秒55 (アジア大会10秒00優勝) 筆 のもと歯科 (1999年) <<前の記事へ 次の記事へ>>