No.168 赤き疾風 アナザーストーリー3 小原先生の想い


★ 小原先生の想い 7月に春高の同窓会に37回が呼ばれた。 三次会では同窓会副会長であり、私の歯学部の先輩でもある 応援指導部の先輩らと飲みに行った。 高校時代、親が歯科医でない私は、どの大学を選んでいいかわからず、 春高から最も多く進学している歯学部へ進んだ。 その先輩とはそれ以来のお付き合いである。 「野本、今年インターハイ行けそう(勝てそう)なんだって?」 「いやあ、陸上は絶対なんてないですから、わかりませんよ。 でもみんな頑張ってますよ。」 同窓会では、恩師小原先生の講演会があったため、 私と清水(5000mで活躍。岩槻市出身)らは同期で出席した。 清水ら有能な選手と異なり、私は小原先生のお声を聞くと いつも叱られていた事が染み付いて(?)いまだに緊張する。 でも先生は今年も現役の活躍を何より楽しみにしていらっしゃるようだった。 インターハイというと、小原先生と瀬上と私の3人で、 暑い中よく食事をしていたのを思い出す。 私は「瀬上で果たせなかった夢(インターハイ制覇)を、 現場で見てきます。」とお伝えした。 インターハイが終わって数日後、小原先生からお手紙を頂いた。 ・ ・・・以下、先生のお手紙から引用 「私はテレビで見ていて涙がでました。 リレーの事も聞きましたが、全てを通して涙が出ました。 あれだけみんな頑張ったのです。ほめてあげましょう。・・・・」 ・ ・・との事であった。 私も診療の昼休みであったが、泣きそうになった。 17年間に渡り、数え切れない勝負の現場を踏んでいらした、 名将の重いお言葉であった。 「もしあそこで・・・」という経験を幾度も越えてきたのだ。 小原先生の最後の門下生である私らもそのひとつであった。 もちろん私はその戦力の数には入っていないが、 「全員陸上」であるから頑張った。瀬上はもちろんだが、 100m200m400mRでインターハイ入賞を想定し、 総合も獲ってやろうと厳しい冬季練習をこなしてきたのだ。 しかし、肉離れやらバトンやらで短距離陣の夢は潰えた。 結果、インターハイは総合5位。 100m200m400mRは、県で春高が勝っていた他校の選手らが どんどん入賞していった。 とくに400mRはその高校が全国制覇してしまった。 それを私は第二コーナー付近で傍観していた。 複雑な思いだった。 何より監督である小原先生はそのときどう思われたのか。 これは失敗談をジメジメと語りたいわけではない。 期待に沿って全てがうまくいくことなんて、ないことのほうが普通であるといいたい。 戦跡も大事だが、どう頑張ったかも極めて重要。 だから我々は、成績はどうであろうが、 死力を尽くしたリレーメンバーが愛おしくてたまらないのである。 自分が仕事で辛い時、いくど励まされたか知れない。

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