No.181    100m世界記録の変遷 2


★ 世界記録の変遷 結局、平地の100m世界記録として最初に公認されたのは、やはりカールルイスであった。 1987年のローマ世界陸上。 ベンジョンソンの9秒83が抹消された結果、2着のルイスの9秒93が事実上の世界新記録となった。 翌年のソウル五輪も同様で、2着のルイス9秒92が世界新記録となり、高地記録を数値上も更新した。 しかしこのときはベンジョンソンに届かないとあきらめ、ルイスはラストを流している。 9秒91くらいはマークできたかもしれない。 その後、東京世界陸上の年は記録ラッシュとなる。 リロイバレルが9秒90をマークすると、すぐさまルイスが更新。 世界陸上東京大会の国立競技場では驚異の9秒86をルイスがたたき出し、バレルが9秒88で続く。 上位2名が世界新記録、9秒8台、決勝上位6人が9秒台という記録的なレースとなった。 当事としては珍しかったチップレスの反発力の強い高速トラックとあいまって 、歴史に残るビッグゲームとして語りつがれている。 のちに1995年にバレルは9秒85をマークするも、アトランタ五輪で ドノバンベイリーに9秒84と更新される。 90年代後半、黒豹・モーリスグリーンの時代がやってきた。 グリーンの記録は9秒7台の幕開けとなった。 世界陸上ではルイスでもならなかった人類初めての100m200m二冠を成し、 五輪も制し最強の時代を築いた。 歴史上、ルイスに並ぶスプリンターといってよいだろう。 世界記録がドーピングで抹消・・・・というと、ベンジョンソンばかりが浮かび上がるが、 実はアテネ五輪と世界陸上を制したジャスティンガトリンもそうである。 この二人は五輪、世界陸上金メダル、世界記録保持者という共通点を持つが、 いずれも薬物違反で抹消されている。 男子・世界歴代10傑 位 タイム 名前       所属    日付 1 9秒77 アサファ・パウエル  ジャマイカ   2005年6月14日(*1) 2 9秒79 モーリス・グリーン  アメリカ合衆国 1999年6月16日 3 9秒84 ドノバン・ベイリー  カナダ     1996年7月29日 3 9秒84 ブルニー・スリン   カナダ     1999年8月22日 3 9秒84 タイソン・ゲイ    アメリカ合衆国 2006年8月18日 6 9秒85 リロイ・バレル    アメリカ合衆国 1994年7月6日 6 9秒85 ジャスティン・ガトリンアメリカ合衆国 2004年8月22日 6 9秒85 アデトヌンボオルソジ・ファスバ ナイジェリア 2006年5月12日 9 9秒86 カール・ルイス    アメリカ合衆国 1991年8月25日 9 9秒86 フランク・フレデリクス ナミビア   1996年7月3日 9 9秒86 アト・ボルドン    トリニダード・トバゴ 1998年4月19日(*2) 9 9秒86 フランシス・オビクウェル ポルトガル 2004年8月22日 (*1) 2006年6月11日、2006年8月18日、2007年6月3日に同タイムを記録 (*2) 1998年6月17日、1999年6月16日、1999年7月2日に同タイムを記録 抹消された主な記録 - タイム 名前 所属 日付 ドーピング違反 9秒79 ジャスティン・ガトリン アメリカ合衆国 2006年5月12日 ドーピング違反 9秒78 ティム・モンゴメリ   アメリカ合衆国 2002年9月14日 ドーピング違反 9秒79 ベン・ジョンソン    カナダ 1988年7月16日 ★ 大阪の覇者は? ガトリンの追放で世界陸上、五輪、世界記録の条件を兼ね備える選手はいなくなった。 テレビではジャマイカのパウエルとアメリカのゲイが有力視されているが、 ゲイとパウエルは一度も世界タイトルを獲得していない。 記録の通りにはいかないものだ。 100mでルイスやグリーンが優れていたのは「勝負強さ」。 ここ一番の大舞台にきちんと勝つこと。それは鳥人・ブブカも言っている。 「どんなプレッシャーにも打ち勝つタフな気持ちがなければ、世界チャンピオンにはなれないんだ」 ローカルな試合で好記録をマークしても何の意味もない。 ケガもあるし私生活のトラブルだってある。 有名になればなるほど問題は増える。 コーチとの確執、金銭の問題、母国の治安、家庭内のトラブル、脅迫、マスコミの中傷 ・・・・幾多の試練を乗り越えて勝ち続けるものこそ、スーパースターなのである。 ルイス、グリーンに継ぐスターが、そろそろ現れてほしいものである。 筆  のもと歯科

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