No.190    池田久美子の軌跡 3


池田久美子の軌跡 3 ★ 壁を越えて 後の活躍は、TBSで放送しまくっているのでご存知の通り。 2001年の日本選手権から花岡選手とのデッドヒートは始まった。 6m61のかつての日本記録は大幅に越えてきたが、6m82の花岡選手に次ぐ 6m71の2位となって、カナダ世界陸上に選出された。 ここでも勝負強さを発揮し、決勝進出を果たした。 11位と入賞こそならなかったが、幅跳び女子で決勝進出はきわめて稀。 ユニバーでは銅メダルを獲得! 2003年もパリ世界陸上に出場。翌年のアテネ五輪は選出されなかったが、 2005年は花岡選手に勝って、ヘルシンキ世界陸上へ駒を進めた。 あと2cmで決勝を逃した。 2006年、5月の静岡国際でシーズン初戦ながら 大阪世界陸上参加標準記録A(6m70)突破となる6m75の大会新記録を樹立して優勝。 IAAF大阪大会では6m86の日本新記録(前年世界ランキング6位相当)を樹立。 年末のアジア大会では、実に36年ぶりに女子幅跳びのタイトルを日本に奪還した。 2000年 世界ジュニア 走り幅跳び 3位 2001年 東アジア大会 走り幅跳び 2位 2001年 ユニバーシアード 走り幅跳び 3位 2001年 世界陸上 走り幅跳び 11位 2002年 アジア選手権 走り幅跳び 5位 2002年 日本インカレ 走り幅跳び 優勝 2002年 日本選手権 走り幅跳び 2位 2002年 アジア大会 走り幅跳び 7位 2003年 日本選手権 走り幅跳び 優勝、100メートルハードル 2位 2003年 世界陸上 走り幅跳びグループA 11位 2004年 世界室内選手権 走り幅跳び 出場 2004年 日本選手権 走り幅跳び 2位、100メートルハードル 優勝 2005年 IAAFグランプリ大阪大会 走り幅跳び 4位 2005年 日本選手権 走り幅跳び 優勝、100メートルハードル優勝 2005年 世界選手権 走り幅跳び 出場 2005年 アジア選手権 走り幅跳び 優勝 2006年 IAAFグランプリ大阪大会 走り幅跳び 優勝 2006年 アジア大会 走り幅跳び 優勝 2007年 ワールド・スーパーツアー ドーハ大会 走り幅跳び 優勝 2007年の課題は走力アップと踏み切りのタイミングの合致。 100mHは13秒02(歴代2位)と大幅な更新をみせたので、スピードは確実にアップしている。 ただ小中学生ではないので、「速さ=距離」と単純な構図は描けないだろう。 20歳から後はまた順風に伸びたわけではない。 「世界との意識の差」を感じた。 「世界で戦う選手達は、生活をてやっている。もちろん日本人選手も懸命だが、命がけではない。」 日本女性には珍しく、海外単独遠征もする。 「外国人達に囲まれて臆していてはだめ。」という世界戦での「慣れ」が必要という。 精神的なコントロールも試行錯誤で習得した。 なにより苦しい当時を本人は語る。 「中学時代には久美ちゃんすごい!って言われるのに慣れてしまい、 高校時代は、久美ちゃんどうしたの?って言われ続けておかしくなりました。 もう見ないでくれっていう気持ちがあった・・・」 川本監督いわく 「池田は練習の虫。スター選手だからって関係ない。はいつくばるような走り込みをする。 日常生活でできる全ての事にトレーニング意識を持ってやっている」・・・ なるほど、その辺の精神的強さが、第二、第三のブレイクを引き起こした要因なのだろう。 ジョイナーカーシー(米)やドレクスラー(独)らの時代と異なり、 7m30で優勝争い・・・・ということはなくなった現在の幅跳び。 7mでメダル・・・というラインは現実味を帯びてきたのは確かである。 筆  のもと歯科

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