No.189    池田久美子の軌跡 2


池田久美子の軌跡 2 ★ 始めての壁に・・ 為末選手と同じく、あまりにも「輝かしい中学時代」。 記録の呪縛がついてまわる。 当然1年生インターハイ優勝を期待され、3連覇を誰もが疑わなかったはず。 池田選手の日大山形高でのインターハイデビューは、1996年山梨大会。 当時私は山梨小瀬に鳥海と、春高400mの太郎と、マイルリレーの応援に行った。 池田選手の幅跳びも観戦できたが、残念ながら優勝はならず下位入賞であったと思う。 やはりふっくらした面影があったように思った。 途中、ご尊父(故人)がコーチを務める仙台育英高への転校し再起を狙ったが、 なかなか中学時代を越える記録は出せず、苦しむ3年間となってしまう。 途中、記録はもちろん悪くはなかった。 6m10前後は幾度も跳んでいる。 しかし、「超人的中学生」から想像すると、どうしても伸び悩みと解釈される。 インターハイ上位入賞はあったが、優勝はならなかった。 高3の国体での、幅跳びが唯一のタイトル。 中学時代の記録は更新されずに高校時代を終えた。     幅跳び  100mH 高1 5m85  14秒48 高2 6m07  14秒10 高3 6m14  14秒16 ★ 福島大学での復活 高校時代も決して悪い記録ではなかったし、全国的な活躍はしてきた。 しかしあまりにも「中学時代」がスーパーであったため、重い「自己記録」・・・ 大学進学して2年目、やっと壁を打ち破る日がやってきた。 新天地「福島大学」。 ここ数年、川本監督の理論的な技術指導に定評があり、今や福島大学はインカレ総合優勝を争そう名門。 ここで池田選手の才能が「再燃」する。 まずチョコレートを断ち、7Kgもの減量から取り組んだ。 ジャンプフォームも、かがみ跳びからシザース(はさみ跳び)に変更した。 川本監督はこう解析する。 「高校時代は脚が遅かった。100mHを見れば分かる。 ジャンプは、頭の先に力を伝えたかったが、そり跳ぶのでは踏み切った直後に 着地体制に入ってしまって、ズドンと落ちてしまう。着地でかなり損をしている。」 単に減量やフォームチェンジだけではない事はもちろんだが、2年生となって、俄然好調に。 日本インカレで6m29と5年ぶりに10センチもの更新。 100mHも向かい風1mながら、13秒86で準優勝。 スプリンター揃いの400mRでは、1走を務め45秒31で優勝。 単独チーム日本最高、当事学生新記録の走りだった。 続く日本Jr選手権。追い風2.7mを利して6m46の大ジャンプ! 追い風参考記録として高松の6m44(+3.2m)のJr記録も上まわった。 100mHでもー3.2mの逆風を突いて優勝。 2種目で世界Jr大会の切符を手に入れた。 さらに第84回日本選手権。 100mHで13秒72の3位ながら、うれしい自己新記録!! 「勢いに乗り出すと止まらない」5年前を彷彿とさせる。 幅跳びではインカレの記録を、さらにアップする6m37をマークした。 日本Jr記録に3センチとせまる好記録。 矢継ぎ早に400mRも制覇し、その年の全国タイトルではすでに5勝。 もう心配ない、「天才少女完全復活」を国内にアピールした。 ★ 世界Jrチリ大会 久しぶりの日本代表として、やる気いっぱいで臨んだ「世界Jr」。 ここでも池田選手の勢いは止まらない!100mHでは、向かい風ながら 予選13秒63、準決勝13秒52とどんどん「自己新連発」。 開眼すると、本当に限界を知らない強さ。 ついに幅跳びでは予選6m28に始まって、決勝では6m32、6m43、 6m28、6m17、F、Fとハイレベルな跳躍を連発。 ついに日本Jr記録保持者となった。(2007年、更新) 2007年 女子幅跳び 記録保持者 記録 距離 名前 所属 日付 世界 7m52   ガリナ・チスチャコワ  ソビエト連邦      1988年6月11日 世界Jr 7m14   ハイケ・ドレクスラー  東ドイツ        1983年6月4日 アジア 7m01   姚偉麗         中国          1993年6月5日 日本 6m86   池田久美子       スズキ         2006年5月6日 日本Jr 高校 6m44   中野瞳         兵庫県立長田高等学校  2007年6月2日 中学 6m19   池田久美子       酒田市立第三中学校   1995年11月19日 筆  のもと歯科  その3へ

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