No.193 春高怪物列伝 ハンマーにかけた生涯


春高怪物列伝 ハンマーにかけた生涯 先日、幸風会に出席できるチャンスに恵まれた。 私の親の歳以上の先輩方が多々いらっしゃる100名近い大親睦会であったが、 多くの先輩方が声をかけて下さった。 後藤 均先輩と荒木貞行先輩の近くに座して、時代を越えたお話を聞かせていただくことができた。 ハンマー投げ・春高最強の男の話だ・・・・・ ★ 少年は後藤 均さんに あこがれて いまさら後藤 均先輩の競技歴について、ここで述べるのは野暮というものだ。 http://www.kasuriku.net/nomo/115.html 参照 後藤先輩は語った。 「いやー、野本くん。ここの田中の弟はね、私と同じで 投擲に人生をかけた男だったんだよ・・」 後藤先輩の同期であり、同じ投擲でご活躍された田中行男先輩には弟さんがいらした。 その少年は8歳も離れていたが、兄の盟友である後藤先輩のその輝かしい「砲丸にかけた人生」に感銘を受け、あこがれて投擲をはじめた。 同じ春日部高校の陸上部に入り、投擲に没頭した。 後藤先輩と同じく、「死ぬ気で」頑張った。 私の友人の瀬上のご尊父、大島(瀬上)節夫先輩と同期で、励ましあい切磋琢磨した。 高校2年でそろって関東を制し、インターハイはハンマーで3位表彰台に登った。 そして迎えた高校3年は、「高校生離れした3回転投げ」で見事に全国制覇を成し遂げた。 春高の部旗は秋本先輩の下関インターハイ以来、二年ぶりにメインポールに上がった。 神戸・王子競技場であった。 ・・・もうお分かりであろう。 その選手の名は「田中誠四郎」さん。 最強の赤シャツ軍団時代の猛者である。 大学でも4年連続してインカレ入賞し、実業団時代も名鉄で一時代を築く事になる。 後藤先輩は言っておられた。 「田中誠四郎はね、「春高は良い学校だ」・・・と事あるたびに言っていたんだ。 飲む時も、講演会でも春高の良さを周囲に語っていた。 だから東海(岐阜)近辺の選手には「埼玉の春日部高校」は有名なんだよ・・」 しかし、50歳を待たずして、癌に侵され、惜しまれながら他界されたのである。 「偉大なるハンマー選手」への別れの葬儀には、参列が長く続き絶えなかったという。 後藤先輩は言った。 「野本君、競技を死ぬ気で貫く・・・というのは孤独にもなるし、つらいもんだよ。 誠四郎はそれをやり遂げたんだ・・・」 先輩はこうも言った。 「彼には娘さんがいてね・・・陸上じゃあないんだが、10代で全国大会に出場してね。・・テレビで入場行進が放送されたんだ。 ・ ・・田中は病床でそのテレビ放送をながめてニコニコしていたそうだよ。」 競技者としてひとつの道を極めて、そして父親として娘の晴れ姿を見ることができて 幸せな人生であった・・と語ったそうである。 筆  野本 順一 第12回関東高校対抗選手権大会 100 A 11.6 兼子 嘉明 砲丸投 E 12.93 田中誠四郎 円盤投 @ 43.13 大島 節夫 保投 @ 55.40 田中誠四郎 保投 C 48.66 山崎 英夫 第12回全国高校選手権     保投  B  田中誠四郎 第13回関東高校対抗選手権大会 4×200 B 1.36.4 梶、 金沢 丸山、大沢 棒高跳 @ 3.50 小谷野博孝 砲丸投 @ 14.64 田中誠四郎 砲丸投 E 12.34 大島 節夫 円盤投 A 42.25 大島 節夫 やり投 A 51.38 大島 節夫 保投 @ 61.33 田中誠四郎 保投 B 52.52 篠田 克明 保投 D 41.65 吉田 雅芳 第13回全国高校対抗選手権大会 砲丸投 E 14.18 田中誠四郎 円盤投 A 46.31 大島 節夫 保投 @ 61.20 田中誠四郎

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