No.3 友人 瀬上裕司3
友人 瀬上裕司3
7、奈良国体 国体だけは私は同行していないので、詳細は分からない。しかし結果から言えば優勝 したのだ。54m58の好記録だった。 地元の小川選手は、インターハイで「国体は60m投げたい」と言っていた。夏に全 国2連覇を成し遂げているから、当然国体も地元のヒーローとして注目が集まったの だろう。同時にそれは「優勝確実」「勝って当然」のプレッシャーにもつながったと 思われる。投てきでは、この「プレッシャー」によってつぶれてしまう事が少なく無 い。頑強な身体であっても、実に繊細な神経の持ち主が多い種目と思われる。 かくして「春高の瀬上」は、最後のチャンスで全国制覇を成し遂げた。我々も3年生 の秋になって、胸のつかえがおりた気がした。 十数年たって、瀬上とインターハイの思い出を語る機会があった。「調整に失敗した よ・・・」ぽつりと言った。シーズンに入っても、投げ込み過ぎたと語った。「春先 の調子を落とさない様、夏になっても練習量を積み過ぎた。だから疲れて真夏はキレ が無くなってしまった。」・・確かに、春がピークで6月の関東、8月のインターハ イと逆に記録は伸び悩んだ。しかし「高校記録、全国制覇」の目標と「周囲の期待」 があったため、気負い過ぎ休む気になれないのも理解出来る。「疲れがとれて来た秋 になって、春先の調子が戻って来た。だから勝てたんだ」・・・・優勝の原因を解析 した。「なるほどね。確かに真夏でもすごい練習してたなぁ。」私も同感だった。 瀬上は、大学後もインカレ、日本選手権、全日本実業団等など、入賞して全国的な活 躍を続け、我々も華が高い。 しかし瀬上家の「親子鷹」伝説は、意外なオチが続く。何と彼の弟が、あっさりと 「インターハイ2連覇」をやってのけたのである。(伊奈学園) しかし家族全部でインターハイ優勝2回、準優勝3回を数える「名家」であるのは間違 いない。 1999筆 のもと歯科 <<前の記事へ 次の記事へ>>