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No.103 春高怪物列伝  箱根の覇者2


春高怪物列伝  箱根の覇者2

★栄光の箱根ヒストリー 3年次はケガで優勝を逃したものの、インターハイ準優勝の勲章をもって 名門中央大学へ。当時の学生大会は中央大学は最強の布陣だった。杉崎 さんは1年生から「箱根」のメンバーに名を連ねる。優秀な肩書き(イン ターハイ準優勝)を持った新入生には上級生の軋轢もきつかったとい う。しかしそれをはねのけての「箱根連覇」が始まった。それまでの連 勝は2連勝止まりだったが、破竹の勢いで前人未到の「6連勝」を中大は 成し遂げた。(2年生時に杉崎さんは病欠したが・・・)強い大学には、 箱根を目指してどんどん強力な新人が入部してくる。5000mの大学 代表ワクも競走が激化した。そこで杉崎さんのポジティブな考えが生ま れる。「じゃあ3000SCで頑張ればいいや」と・・・。もちろん安 易な発想からでないにはもちろんで、早々にインカレ入賞、実業団で活 躍。ついには日本のトップにまで行きついてしまうのだから・・・恐れ 入る。実業団大会で3000SCの日本新記録をマーク。しかし上位3 人もが新記録となった超ハイレベルのレースであったのだ。 ★インターバル導入 ザトペック・・・1952年ヘルシンキ五輪の男子5000メートル、 1万メートル、マラソンの3種目に出場し、8日間で次々に五輪新で優 勝するという偉業を達成した選手。その選手が取り入れていたのがイン ターバルトレーニング。早速それを取り入れた時の話。当時は1000 mを3分でつないだという。「速いですね」と言うと、「ははは(笑) 1000m3分じゃあ、5000mたかが15分だ。勝負にならない よ。」と、一笑に付されてしまった。・・・まあ、確かにそうだ。 ★強くなりたい! 一流選手の話に共通するのは「強くなりたい!」信念が極めて強い事 だ。まだまだ物の豊かでない昭和30年当時、杉崎さんも学生生活にお 金をかけずに身体に良いモノを!と求め、ニンニクをチームで分け合っ て食べたという。いつもどんな時も「どうしたら強くなれるの か・・・」の飽くなき探求心に満ちている。これが今の日本には稀少に なってしまった「ハングリー精神」なのであろう。 高校で、あるいは学生で全国トップクラスの競技者になれたら・・・ そこで満足してしまう選手も多いだろうし、悪い事ではないとも思う。 しかし日常生活の全てを競技に没頭させるのは、「好き」を越えたかな りの覚悟と精神力が必要だ。一流選手であり続けるのは、生半可なこと ではない。 もうひとつ・・・おのれに異常なほど厳しくできる超一流選手は「人に 優しい」。日本代表になったような先輩たちに会うたびに、そう思うよ うになってきた。 今後も春高陸上部OB会は、その精神を継承していくことであろう。 ★あとがき・・・・・タバコはラーク 先日、OB総会に先立って後藤 均さん、杉崎 孝さんらと飲む席に 呼んで頂ける機会に恵まれた。我々若手は(といっても末松くんでさえ 36歳なのだが・・・)両先輩方に遠慮なくごちそうになった。我々は 甘やかされた世代なので、図々しいくらいに飲み食いしていた2次会で の事。ふと杉崎さんがタバコを吸っておられるのが目についた。 「あれ?長距離の五輪候補とタバコ・・・」ちょっと意外な気がして聞いてみた。 現役引退してから吸っておられるのだろうか・・・と思ったのである。 「タバコはねえ、昭和36年の1月3日の夜から吸っているんだよ。」 「何かきっかけがあったのですか?」 「大学4年の正月、箱根駅伝4連覇できて打ち上げをした後の事だよ。 3次会、4次会となってさ・・・ああ、おれもこれで一区切りついたん だなって。プレッシャーから開放されてね・・・それからさ、吸い出したのは。」 ・・・・うーん、この話は大変興味深いである。 箱根駅伝・・・それは毎年日本中の注目を集める学生スポーツの最高峰 イベントである。その映像は人々の共感を呼び、時代背景と共に記憶に 刻まれる正月の風物詩だ。 視聴率も図抜けて高い。前人未到の箱根4連覇を成し遂げた4年生 としてきつかったと思う。インターハイ、インカレはある意味個人戦 だが、箱根で失速や連覇を止めようものなら・・・大変な重責だ。 虚脱感におそわれたとてなんら不思議はなかろう。 この話にはまだ続きがある。 「野本くん、何でオレが洋モクのラーク吸ってるのかわかる?」 「・・?」 何かまた競技人生に関わる事件でもあったのだろうか?! 杉崎さんはいたずらっぽく笑って言った。 「だって値段が安かったんだもんっ!」 新OB会長は素敵な初老の紳士である。 筆 のもと歯科クリニック  野本 順一(04/07/09) <<前の記事へ 次の記事へ>>