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No.11 山崎一彦さんに会って2



山崎一彦さんに会って2

   山崎一彦さんに聞いた回想録 高校入学時特別なエースではなかったとの事。 中学時は幅跳び、110mH。確かに110mHでは全中7位に入っている。しかし 本人は「100mが遅いからハードルをやった」と言っていた。しかし高2で関東1 10mHを制覇してしまう。400mHともにインターハイは準決勝まで。174c mしかない身長にハイハードルの限界を感じた。承知の通り関東には群馬の斎藤選手 (後に日本記録、日本代表として何年も活躍)が同学年でいたため、3年生の関東4 00mHは超ハイレベルとなった。(たしか後輩の話では52秒4くらいでも3位だっ たとか・・) 山崎さんは、言わずと知れた「超・努力の人」である。インターハイは優勝を狙って 猛練習した。結果は4位と終わってしまった。 ・・・走り込みしすぎたのである。夏の高知インターハイ決勝まで、スタミナが持た なかった・・。国体までの2ヶ月、山崎さんは「練習量をセーブする勇気」を監督に 進言し採り入れた。国体は見事に優勝!高校歴代6位の好タイムをマーク。・・・ アトランタの400mH予選敗退ニュースを聞くたびこれを思い出す。高野進さんも 言っていたが、「予選、2時予選、準決勝で力を使い果たし、決勝では立っているの がやっとだった・・。」日本マスコミは「手を抜いて落選」というが、本当にそんな 安易なものだろうか?7位入賞を果たした95年世界選手権だって、予選からラウン ドが進むに連れタイムは落ちている。しろうとさんは、「ベストが出ればメダルが!」 というが、そんなこと決勝で出るわけ無いのである。(陸上をやってればだれでも分 かる。世界陸上は高校生の県大会ではない!)・・そんなわけで100%で(決勝の 様に)予選を走らなかったのは、いたしかたないところで、テレビが言う「手抜き」 であるはずが無い。・・その苦悩から4年。言い訳をせず彼は復活した。シドニーも どこで(何本目)勝負かがポイントだという。最初から全力で行って、バテバテの決 勝で8位になるか、温存して最後でベストを出すか・・・。ものすごい選択である。 筆  のもと歯科 (2000年) <<前の記事へ 次の記事へ>>