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No.112 心暖まるランナーの話


心暖まるランナーの話

アテネ五輪の前に心に残る実話を。 この話を聞いて、私は不覚にも涙が止まらなかった。 1900年初頭、アメリカにある少年が生まれた。名はカンニガム。しかしこの男の子は ある日、不幸が突如襲った。足に大やけどを負ってしまったのだ。愛する息子を想う母は 「私が見ていなかったから・・・」と絶望にうちひしがれながらも、抱きかかえ救急病院に駆け 込んだ。しかし、そこで医師の言葉に耳を疑った。「歩行不可能になるでしょう。脚を切らない と血液が巡らず、大変な事になります」母はあまりのショックに気が遠くなる思いだったが、 「いいえ脚は切らないで!私が面倒をみますから」。そう言って母は、歩けなくなった幼い わが子の介抱を始めた。くる日もくる日も母親はわが子の脚をさすり続け、マッサージを くり返した。何年も片時も休まずマッサージは続いた。 ・・・数年がたったあるクリスマスの夜、少年が言った。「ママ、今日はママにプレゼントがある んだ。僕がいいって言うまで、目を開けないでね」母は言われるままに目を閉じた。 「・・・いいよ!ママ」その瞬間、母は信じられない光景を目の当たりにした。何と歩けない はずのわが子が、ゆっくりとではあるがこちらに歩いてくるではないか! 「奇跡だ!ああ・・神よ!」毎日のたゆまない母の愛情とマッサージが奇跡の回復を呼んだ のであった。母親はうれし涙でぐちゃぐちゃになりながら、わが子を強く抱きしめた。 この話はまだ続く。一般人には当たり前の事だろうが、少年は「脚が動く事のありがたさ」 をかみしめていたのだろう。意識を高く持った少年はさらに努力を積み重ね、心と身体を 鍛練していく。ランナーとして最初はゆっくり走り出すことから始めた。徐々に壁にぶつかり ながらも練習のレベルを上げていった。その努力は常人をはるかに超えた苦しさだったという。 ・・・そしてついに1936年ベルリン五輪1500m代表になり、なんと銀メダリストにまで 上り詰めたのである。五輪大会新記録であった。息子は最高の恩返しを母に贈ったのである。 1936年ベルリン五輪 陸上1500m 1位 ラブロック(ニュージーランド)3′47″8 2位 カニンガム(アメリカ)3′48″4 3位 ベッカリ(イタリア)3′49″2 筆 04.07.19 のもと歯科クリニック  野本 順一 <<前へ 次へ>>