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No.115 後藤先輩の「友情のインターハイ」


後藤先輩の「友情のインターハイ」

春高怪物列伝・「インターハイで勝てるなら死んでもいい!」・・・執念の初優勝 春高陸上部を語る上でまず筆頭にあげるべき先輩である。わが校の誇る伝説の「後藤 兄弟」。後藤均先輩はインターハイで我が校戦後初の優勝者となり、その後の春日部 高陸上部の隆盛の起源となったのである。このインターハイ制覇を皮切りに、その後 長きに及んで砲丸投げに「後藤時代」を作った大選手である。 ★長野インターハイへ 昭和27年長野県松本市で第5回高校総体は開催された。我が校陸上部は復活ののろ しを上げた。関東インターハイわずか5年目をもって総合初優勝して「全国総合制覇」 も狙っていた。後藤均主将は、関東大会で砲丸・円盤・200mのチャンピオンであ り、副業と思われた200mでは県高校新までマークしてしまった。やはり「後藤兄 弟」はすごい。3男の秀夫先輩もそうだが、何をやっても身体能力適正がずば抜けて いる。そのたぐいまれな身体能力、努力を続ける集中力、勝負強さ・・・我々凡人に は、ただ羨望のまなざしで見るしかない。 高校5回の先輩方と飲むと必ずその話になる。「いやあ、おれだって関東で 勝ったのにさ!やつがいるから全然目立たないよ。まいっちゃうよなあー!」と 第5回関東高校対抗選手権大会 200m 1 23.8 後藤  均 三段跳 4 13.29 斉藤  進 砲丸投 1 12.92 後藤  均 円盤投 1 40.17 後藤  均 やり投 1 中田  茂 やり投 5 46.36 田中 行雄 保投 1 42.10 山崎 久夫 ★友情の砲丸投げ 盆地特有の過激な蒸し暑さ・・選手全体に調子を崩す者が多く(当時おそらく栄養失 調状態が多かったはず)、後藤先輩も例外ではなかった。予選通過の12m30を越 えられずヒヤリとしたが、上位12名に入り無事通過。しかし入っていたはずのリス トに名前が無いのに驚いた!。審判に進言、それを三重名張高の藤田選手も証言して くれたため、記録員のミスが認められたのであった。起死回生で臨んだ砲丸決勝では、 ランクトップの古豪磐田南の選手が振るわずチャンス到来。ミスジャッジを救ってく れた藤田選手と優勝を争い、6cmの僅差で後藤先輩が優勝を飾ったのであった。新 聞記事には「ライバルの証言で決勝へ」の見出しが掲載され、それを期に深い友情が 生まれた。藤田選手は東京教育大に進学し、後藤先輩とインカレでも競い合い、後の アジア大会まで共に競技する仲になった。 残念ながらそのインターハイの200mと円盤投げでは、先輩も体調を崩し決勝進出 はならなかった。特に砲丸より調子の良かった円盤の失敗。先輩は非常に悔いの残る 大会であったと語っていた。もしあそこで円盤に優勝していたら、その後の競技歴も また違ったものになっていたかも知れない。これも運命なのか。 ★日本選手権の栄光 投てきの名門・日大(どの競技も強いが)で、3年〜4年生時に日本選手権2連続制 覇!。社会人となった八幡製鉄時代も連続優勝。14m38の大会新記録もマークし、 なんと「日本選手権5連勝」の大偉業を成し遂げているのである。選手権を獲得する だけでも大変なものだが、5連勝ともなると別格である。試合のピーキングのうまさ、 勝負運の強さがなければ連勝はできないからだ。数字的に5連勝を上回った日本人は、 ほんの数人しかいない。つまり日本陸上史上、指折り数えられる程勝負強い競技者で あったといえる。 ★日本記録も更新 1956年14m39の日本新記録をマーク。これで後藤先輩は、高校、大学、日本 選手権、日本記録の全てを獲得した稀な選手となった。その後も1958年に14m 80、14m96をマークし15m台目前にせまった。1960年、日本人初の15 m突破は譲ってしまったが、1ヶ月遅れで15m22で日本記録保持者の座を奪回し てみせたのだ。つまり5度の日本選手権制覇に続き、4度の日本記録をマーク。日本 砲丸投げに最強の時代を誇ったのであった。エピソードを加えれば、国体でハンマー 投げの入賞歴も持つ。さらに驚きは、OB時代に400mRで準優勝している事。いく ら昔とはいえ、脚の遅い選手はメンバーに選ばれるはずもない。怪力だけの砲丸投げ でなく、身体バランスの極めて優れていた事を裏付ける。私も初対面の時、握手をし て頂いて驚いた。「砲丸投げの達人」から連想するほど大柄ではない。しかし掌は大 きく厚く筋肉が豊隆していて、指先までもが頑強そうな印象を受けた。すでに60歳 を越えておられたはず・・。 ★鬼のような執念 後藤さんは言っていた。 「いいかい、野本くん。インターハイ、インカレなどでは、自己記録の優れたものは 数多くあつまる。しかしその本番で勝つには尋常じゃあない。執念がないとだめなんだ。 長いこと大試合を見てきたが、勝つやつはいつも勝てる。優れた記録を持ってても、 本番で勝てないやつはずっと勝てない。私は気が狂ったように砲丸道を貫いた。 強くなるなら何でもやった。他人に、後藤は狂ってる・・・といわれた程にね。」 ・・・実績に裏づけされたなんと思い言葉か。 言うまでもないが後藤さんは、インターハイ、インカレ、日本選手権、日本記録の すべてを勝ちとったのだから。 最後にもう一言。 「私はねえ、インターハイで勝てるなら死んでもいい!。そう思ったんだよ。」 もちろん我々とは才覚が違うのだが、そこまでの覚悟すら私には無理である。 <<前へ 次へ>>