No.117 ミュンヘン五輪の息子たち1


ミュンヘン五輪の息子たち1

「体操日本」・・・私は東京五輪の後に産まれたので成り立ちは見てはいないが、私 の幼少期すでに日本の体操は五輪にとって花形であったのは間違いなかった。しかし 不参加のモスクワ五輪をはさんだ空白の8年、1984年のロス五輪では日本にかつ ての強さは無かった。 しかし今回、承知のようにモントリオール五輪から実に28年、ついに体操団体で 「王座奪還」をなしえたのであった。 ★「鉄棒の小野」から 1952年のヘルシンキ五輪で日本の体操は初の銀メダル獲得(上迫、竹本選手)。 翌1956年のメルボルン大会から「金メダル」が始まった。恩師・小原俊彦先生の 著書にもある鉄棒の元祖カリスマ・小野 喬(おのたかし)選手である。小原先生の 著書によると小野選手は、華々しいデビューを飾ったわけでもなく、苦心の末に大成 を果たした晩期型であるらしい。しかしこれは小野選手が、いかにも戦中世代らしい 謙虚な言い回しであろうが、初の金メダルであることに変わりは無い。このとき団体 は2位。 1960年ローマ大会でついに総合優勝の幕開けである。日本全体でも金メダルは体 操の4個のみ。(団体1個、個人3個)文字通り、五輪=体操・・・オリンピックに おける日本の国技的スポーツであったのだ。ちなみに柔道は1964年東京大会から 開催。 ★脅威の5連覇 1960年ローマ、1964年東京、1968年メキシコ、1972年ミュンヘン、 1976年モントリオール・・・文句のつけようが無い総合団体5連覇である。 おそらく金でなければ許されない風紀もあったと思われる。厳しい。 ★僅差で シドニーからの団体連覇を狙う中国は、最初の床で相次ぐ着地失敗。ラインをはみ出 して大量失点。優勝戦線から脱落した。日本はきれいにまとめるが総合7位。いまど きは床のフィニッシュでムーンサルトを決めてしまうのだ。ムーンサル(月面宙返 り)とは高いところから降りるときの技かと思っていたが・・・あん馬では種目別世 界チャンピオンの鹿島が魅せた。我々の素人がみても驚くほどの腰の高さ。あん馬な のに宙返りしてしまうような回転のスムーズさ、重心の高さは驚かされた。吊り輪も 塚原が高得点をマーク。跳馬も富田が着地を決めた。ルーマニアも一歩も引かない。 平行棒でもベーレ(棒の上で宙返り)を決めた日本に比べ、ルーマニアはバランスミ スが続く。最終種目の鉄棒を残して、首位のルーマニアとの点差はわずか0.06 3。奇跡の逆転への望みにかけた。横一線でのプレッシャーは極限であった。なんと ルーマニアのエースが落下。9点にも届かない。これでルーマニアも脱落。アメリカ もミスが頻発。最後は日本の登場だ。 ★スーパーDの「コールマン」 一番手はキャプテンの米田。現在はCやD難度の技が無ければ勝負にならない。10点 が量産された80年代の戒めとして、満点から減点して行く方式に変わったという。 米田はキャプテンらしく「コバチ」を決め(鉄棒の上でバク宙返り)、さらに伸膝の 新月面であざやかに着地。さすが「切り札」といわれる男。 最後は富田。「最強のオールラウンダー」である。鉄棒の上で宙返りする「コバチ」 もすごいが、さらにひねりを加えた「コールマン」は人間の域ではないと感じた。こ こ一番に強い富田は着地もぴたっと決めて9.85の最高点。会場も文句なしの大歓 声。ここに新たな歴史が刻まれた。 次回北京五輪への前哨戦ではずみをつけたかった中国は、プレッシャーからか韓国に も幸甚を拝し5位と惨敗した。しかしこのままでは終わらないだろう。 筆  のもと歯科 体操 男子 団体 決勝 1 日本 173.821 鹿島丈博 水鳥寿思 中野大輔 冨田洋之 塚原直也 米田功 2 アメリカ 172.933 3 ルーマニア 172.384 4 韓国 171.847 5 中国 171.257 6 ロシア 169.808 7 ウクライナ 168.244 8 ドイツ 167.372 <<前へ 次へ>>