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No.13 超人の遺伝子 後藤秀夫先輩



超人の遺伝子 後藤秀夫先輩

   超一流の域に達してしまうと「遺伝子」の品質が大きく関わるのがスポーツの世界。 だから我々凡人は超人技にあこがれ、その伝説を語り継ぐのが好きなのである。 春高の何期めかの黄金時代。大木伸男さんの1年下の梶さん。その梶さんが3年次の 1年生が後藤兄弟3男の秀夫さん。中学通信陸上ですでに全国優勝していた。高校2年 のインターハイ5種3位の時もう高校新記録だった。以下新聞記事より。 ・・ホンモノの万能選手 「後藤秀夫」  走る、跳ぶ、投げるの全てにすばらし い素質を持っている。県高校記録を次々に書き替える本物である。昭和31、32年 ごろ砲丸投げで日本記録保持者だった後藤均選手の弟と言った方が分りやすいかも知 れない。昨年のインターハイでは5種競技で高校新をマークして3位に入賞。国際ス ポーツ大会では10種競技で堂々5位に入った。5種競は3326点だが、どれもま だ伸びる余裕がありそう。今年のインターハイも新記録で更新が有力である。・・・・ 埼玉新聞より 幾人もの全国選手を育ててきた関根先生をして「10年に一人の逸材」と言わしめた。 現実にその夏の大阪インターハイでは新記録で優勝。3521点で大幅更新を現実に してみせた。(昭和39年)その活躍で、東京五輪の聖火最終日ランナーをつとめあ げた。「破格」の人。実はこの20年近く後、高2の私は関東インターハイで宇都宮 に遠征にきていた。そこの宿舎にあの「後藤秀夫さん」が応援に来て下さったのであ る。(・・・ちょっとスーツの柄が恐かった)もちろんただの一学生である私は、話 しができるはずもなかったが、とても印象に残っている話しがある。 主将として関東インターハイに乗り込んだ後藤先輩は、何と連日39度の高熱にう なされ続けていたという。もちろんそれでも自分のインターハイへの切符くらい問題 ないのだが、春高の関東総合制覇がかかっていたのである。旅館の方々が連日氷のう をあて、看病してもらいながらの3日間だった。(5種競技以外にも、ポイントのた めフルエントリーしていたらしい。)それでも鬼気迫る活躍だったと聞く。そして関 東大会8度目の総合優勝を成し遂げた。 2ヶ月後のインターハイでも見事、高校新優 勝。しかし高校新をねらった幅は、残念ながらファールが続いて大敗してしまった。 本人いわく、「悔しくて、記録を出して優勝した夢を見る」との事。5種は高校新で 優勝してるんだけど・・。 大木さん、梶さん、後藤さんらは、幅で高校新記録を本気で狙える位置に現実にい た。だから現在との記録比較はナンセンスなのである。 ・・話の続きがまだある。看病してくれた旅館のお嬢さんと、後に結婚されたのである。               筆  のもと歯科 (2000年) <<前の記事へ 次の記事へ>>