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No.14 吉田伸二選手の開いた道



吉田伸二選手の開いた道

      私が始めて「陸マガ」を買ったきっかけになった出来事があった。 1979年(昭和54年)マスコミはこぞってある中学生スプリンターに注目した。 たった一人で100m200m400mの中学記録を、全て更新した選手が現れたの である。10秒8、21秒9、48秒76(電)今から20年以上も以前の事、今と なっては「その記録はそれほどでも・・?」というのはナンセンスである。その様な 先人を道しるべにできたため、現在の記録がある。記録の単純比較は意味がなく、当 時はそれが最高記録だったのだから。 「吉田伸二 選手」福岡の永犬丸中学。全日本中学選手権で、それまでの中学記録を なんと「1・5秒」も大更新して48秒76で優勝したのである。(現在でも歴代5 位)さらに注目されたのは、何とその同年の「インターハイ400mの優勝記録」を、 中学生が上回ってしまった事が事件となった。これに高校生達がえらく刺激されたの は言うまでも無い。無論、後にも先にもそんな異常な事態は無い。今後も無い。一人 天才的に抜け出た選手がいると、それに釣られて周囲のレベルが、一大躍進する事が 陸上には多い。この年も中学新が短距離で連発した。(2年後も不破選手の影響によっ て、100m中学記録を何人も更新した) 吉田選手は、名門「八女工高」で1年時から自己記録更新。48秒22でインター ハイ5位(現高1歴代16位。当時は歴代1位。)、高2で47秒60でインターハ イ制覇(現高2歴代18位。当時やはり1位)。200mも優勝したと思う。(両リ レーもあって、八女工高は総合優勝したような・・?多分ね)高3で始めて大試練に 当たる。トップで走り続けてきたがゆえの、「故障多発」。それでもインターハイ4 00m2位に居残った。優勝は神奈川県、荏田高の原田選手。あの中学時代からずっ と2位の辛酸を味わってきた選手である。(全中も2位で中学新だったが、吉田選手 の48秒台の前にかすんでしまっていた。) その後、残念ながら大学では故障続きで大成できなかったが、吉田選手が中高生に与 えた影響は計り知れないのは間違い無い。みんながそれを目標にがんばったはずであ る。 筆  のもと歯科 (2000年) <<前の記事へ 次の記事へ>>