No.15 春高7m伝説
春高7m伝説
幅跳びの7mジャンプは跳躍少年の夢である。 何年か前のOB総会の時に、憧れの大木先輩に「30数年以上前にあの記録は驚き です」と挨拶に行った。その時「おいおいそんな昔と言うなよ。オレはあの時(静岡 草薙インターハイ)は、横で見てたんだから」・・と、ある先輩にひやかされた。大 木さんの1年後輩の梶 博信さん。かつて上尾で跳躍審判をなさっていたので、私は 知っていた。(もちろん、梶さんは知らない)梶さんも2年生として草薙インターハ イに出ていた。ファウルで満足した結果なく悔し泣きをしたという。高校記録を本気で 狙った3年次も、故障でならず。やはり近い先輩が「全国チャンピオン」だと、並大 抵では満足できか・・・? インターハイフィールド優勝校の春高でも、歴代の幅で7mジャンパーは5人しかい ない。しかもここ20年出ていない。 1、7m30嵯峨根さん(昭和54年滋賀インターハイ3位)、 2、7m20大木さん (昭和36年静岡インターハイ2冠、フィールド部門優勝) 3、7m11後藤秀夫さん(昭和38年高2インターハイ5種3位、昭和39年高3で 優勝、新潟国体幅跳び3位、東京五輪聖火ランナー)、 4、7m07梶さん(昭和37年、OBとしては福井国体7m52で優勝、 埼玉国体幅2位、400mリレー優勝)、 5、7m05関根さん (昭和54年滋賀インターハイ2年生で400mリレー準決勝、関東優勝) ・・補足・ 関根さんのリレーはオーバーゾーン失格だったが、順番的には決勝3位くらいのはず。 しかも幅の7m05は新人戦で出したもの。高3は春に足首骨折で跳んでない・・。 面白いのは、昭和54年と、昭和36から3年間の「2期間」しか無い事。やはり強 い選手がいる時に、チーム内の後輩も良い影響を受け、共に大きく伸びる傾向にある。 いまでこそ7mだと高校100傑くらいだが、20年、あるいは35年の昔である。 7mの価値が違いすぎる。やはり当時7m跳ぶ人はただものじゃない。 筆 幅跳びの野本 (2000年) <<前の記事へ 次の記事へ>>