No.146 赤き疾風 2006年 赤き疾風は吹き止まず 1−1


赤き疾風 2006年 赤き疾風は吹き止まず 1−1 1、 赤き疾風は吹き止まず 風は止むことは無かった。 昨年、競技場を、高校陸上界を、そして我々の心の中を吹き抜けた「赤き疾風」は 今年も吹き続けていた。2006/04/23、私はこの目で確信してきた。 後藤、石川、田中の、短距離に代表されがちだが、「赤シャツ」は十分に健在だった。 東部地区大会総合・堂々の準優勝。みんな頑張った。 肉離れを起こした中、県大会出場権をかけて苦悶の表情で三段跳びに挑む者、 腹痛に襲われたが、わき腹を押さえつつ苦悶のゴールをした者、 自己新記録で得点を大きく伸ばした者・・・・様々だが、我々の後輩は今年も頑張っていた。 私は「今年は仙台での研究が最も多くなる年。・・・ 死活問題だからコラムも減るなあ・・」と思っていたのではあるが、 やはり自分がやるべきことはきちんと果たそう。 私は春日部高校陸上部のOBなのだから・・・ 後輩達に凛とした姿勢を見せねばならない。 このコラムを読んでくれるのは、監督と嵯峨根さん、森丘、49回生の少数、 そして一番大事な選手の保護者の何名かの方々・・・ 合計わずか10人ほどだがそれでも需要があればありがたいものである。 素人の日記を他人様が読んで下さるのだから、そんなことはめったにない。 そう改めて自覚した一日であった。 2、 後輩たちの意識 どう考えても、奥岡ら屈強な3年生が去った昨年の新人戦は不安だったに違いない。 後藤はいるが総合力は大きく見劣りするのではないか ・・・きっと主将の石川らは憂慮したであろう。 昨年の春は嵯峨根さんの代以来、実に27年ぶりの東部総合優勝を奪還したが、 秋の新人戦は総合3位。 これを「強い先輩たちが抜けたから仕方ない」と考えるか、 「自分らの課題」と捕らえるか・・・・ ここが春高生の頭の使いどころであったろう。 結果、自己新記録をみな更新し獲得ポイントを増やし、総合順位も2位にアップした。 石川主将を軸に、新3年生達は立派に成長したのであった。 (いや、しつつあると言っておこう。まだ夏は来ていないのだから) ほかの高校の精神的教育方法は経験していないのでわからない。 しかし、春高は時代に沿って、若干の違いはあるが共通した法則がある。 「自分で考えて決めろ」である。 私は小原門下生である。小原監督は、めったに学生を叱らない。 (私はだらしない高校生だったので、その限りではない・・・くっ) 「お前達、自分で考えてやるべきことをやれ」というニュアンスで指導を受けた。 きっとどんどん指示をしたほうが、よほど楽だったであろうに、 未熟な高校生に考えさせる方法を選択したのだ。 もちろん石川主将を中心とした在校生達は、 来年の大阪を見据えた考えに変わっていったと思う。 (弱音を吐いていたこともあったようだが・・) それが県新人の石川の200m優勝、田中の関東新人4位、 県では10秒88のベストをマークにつながった。 400mRとて41秒台目前まで迫って見せた。 1600mは「埼玉県の決勝」という晴れの舞台へ進んで見せた。 これとて400mに突出したランナーがいるわけではない。 奥岡の時代になんら見劣りしないではないか。 同時期、後藤は岡山国体で入賞を果たしている。 (彼の心情を考えると、あえて「7位敗退!」と書いておこう) 「大阪夏の陣」へむけてスタートはきられた。

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