No.149 赤き疾風 2006年 赤き疾風は吹き止まず 1−4


赤き疾風 2006年 赤き疾風は吹き止まず 1−4 7、 駒崎先輩の言葉 駒崎秀雄先生(春高先輩)の東部高体連会長としての閉会式での総評に、 私は鳥肌がたった。 「諸君、勝負には二種類ある。ひとつは他人に勝ったか負けたか、 記録はどうだったか。もうひとつは自分との戦い。 ここにくるまでの自己管理がどうだったか。 どういう練習を積み、どういう栄養のものを食べて体を作り、 どういう精神集中をしてきてここに挑んだのか。 その結果はどうだったのか。・・・私は後者のほうが大事だと思う。 足の速さは動物である犬などにはかなわないかもしれない。 しかし君らは人間として、この試合の結果を糧として受け入れて 生きていかなければならない。 ・・・・この名門東部大会から今年も全国で戦う選手が多く巣立ってほしい。」 純粋に良い話なのだが、これは会場にいる多くの学生、教員の方々、 保護者の方々などが多々いらっしゃる中で、私は特異な心情で受け入れていた。 駒崎先輩(先生)には様々なドラマが私の中にはある。 OBにしかわからない。 20年以上前の記憶なので誤っていたら寛容に受け入れていただきたい。 駒崎先輩の代、我が春高陸上部は県大会制覇を逃したと聞いている。 しかも連覇が途絶えてしまったものであったと記憶している。 駒崎先輩は号泣し、悔しさと申し訳ない気持ちでいっぱいであったという。 その後20年、三郷高校の監督として豪腕を振るった駒崎先輩(監督)は、 情熱にあふれた指導の積み重ねで幾多の全国的選手を育成していった。 そして私が高校2年の国体予選県大会で、見事三郷高校は 総合優勝を飾ったのである。「埼玉県制覇」だ。 トラックからフィールドにいたるまで、確かに屈強なメンバーであふれていた。 このとき駒崎先輩(監督)は号泣したという。 「これで関根先生への恩返しができた」・・・・と。 春高にとって県大会制覇は当たり前の時代。 赤シャツがまさに疾風を巻き起こしていた幾度かめの黄金期の時代。 その栄光を途絶えさせてしまった事に自責の念を感じ、 糧としてその後原動力としたのであろう。 (連覇の途絶えは背景の問題で、決して誰のせいでもないと思うのだが ・ ・・それくらいの覚悟があったということか。 とうてい甘やかされた時代の我々には真似のできない話だ。 付け加えるならば、駒崎先輩は日本選手権10種競技入賞者の 大選手であると記憶している。 私が東部大会の幅跳びで3位に入ったときの上位2人は三郷高校の選手。 引退した高3の夏、一緒に飲んだものだ。 (あれ?もちろんジュースに決まっている。(笑)) 7、 戦いの始まり 昨年の新人3位から2位へアップした。 1位との点差は開いていたが、明らかに駒数の差。 新人の活躍もあって、未来へも希望が持てる。チームも登り調子だ。 P.s. ちなみに埼玉陸協のHPで高校別サイトの評価があります。 監督や管理人さんの努力、母校愛を知らしめるために、 みなさま適切な評価投票をお願いいたします。 春高の存在を世に知らしめ、 次世代の育成にも反映させましょう! 春高ランキング http://sairiku.arrow.jp/modules/mylinks/ratelink.php?cid=16&lid=73 全体ランキング http://sairiku.arrow.jp/modules/mylinks/topten.php?rate=1 37回 のもと歯科

<<前へ 次へ>>