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No.16 桝見咲智子 その非凡なる才能



桝見咲智子 その非凡なる才能

   世の中には20年に一度くらい有能な中でさらに抜け出た「天才」があらわれる。いま から20年前、中学2年生にして1m79の中学新をマークした、あの「佐藤 恵」選 手が登場した。身体にめぐまれ、1981年の3年生では「モスクワ五輪の標準記録」さ え上回る、1m87の超中学新が記録されてしまった。未だ歴代2位に10cmもの 大差をつけている。同時に三種Aで3357点の中学記録も作られ、この20年近く 破られずにいた。 この2種目は燦然と輝き、おそらく「不滅」かと思われていたが「やっと」その時が 訪れた。1998年、中学2年の桝見選手が、あっさり三種Aを記録更新し彗星のご とくデビューしたのである。20年に一度の素材。 1997 香川の名門・明善中学。幾人もの全日本クラスを育て上げた名将、真部監督のもとを 訪れたのは小6の冬。「高跳びをやらせたい」との家族の希望でやってきた。少しジョ ギングをさせてみて、名将の目はその素質を見抜いたという。すでに170cm近い 体格のみならず、そのバネ、柔軟さ、リズムに非凡なるものを感じたという。中1の 体力テストでは、垂直跳びですでに50cmを超えていた。監督は「これは大物にな る。慌てて作ってはいけない。」・・とにかく「じっくり」と育てる事に終始した。 練習は何と週に3日。自ら競技に傾倒していくまで、じっと見守り続けた。しかしJ r五輪の中1クラスで三種競技で優勝。幅では13歳ながら5mを超えていた。どん どん興味が沸いてきて「強くなりたい!」と練習に参入していく。 1998 中学2年になると、その才能は監督の想像をはるかに超えていった。幅跳びで5m9 0(中2歴代3位)高跳びでは1m76(中2歴代2位)をマーク。全日本中学では 高跳び2位?三種A(100m、高跳び、砲丸)では優勝してしまう。あまりの成長 の早さに監督は、幅、高跳びの練習を止めさせた。パフォーマンスに筋肉が追いつか ず、故障してしまう恐れがあるためである。もちろん筋トレもやらない。それでもあ の、佐藤恵の三種Aの記録を破ってしまう。 1999 中学3年になると、敵はいない。自分の記録との戦いであった。迎えた全中で優勝は もちろんだが、ある「珍事」が起きた。三種競技A,Bの両方を独占したのはもちろ んだが、その中の幅跳び、高跳び、そして砲丸までもが「種目別優勝者」の記録を越 えてしまったのである。実質5種目の優勝を飾った「天才」だが、目標はまだまだ先 にある。インタビューでは「世界的な選手になりたい・・・」という。今まで身体能 力のみで戦ってきて、走り込みや専門練習で「小さくまとめず、目先を狙わず」を一 徹した名将によって土台は順調である。最終的に、中3では三種競技AB、槍投げで 中学記録を、高跳び、砲丸、幅跳びの6種目でランキング1位をマークした。もちろ ん、これほどの選手の前例は日本に無い。 2000 英明高1年となった今年は、インターハイ幅跳び準優勝。年齢別で国体連勝。記録では 6m34cmの自己新記録をマークしている。今後は走力に磨きをかけ、筋力トレー ニングを少しずつ取り入れて「専門家」となっていくんだろう。今までなかったケガ や、伸び悩みも当然予想されるが、何とか乗り越えて欲しい。アメリカのジョイナー カーシーのような選手が、日本から育ってくれる事を望みたい。そして欧米では大人 気の万能人間「混成競技」を、日本でメジャーにして、五輪選手になってほしいと切 に願う。 (中、高で密かに混成やっていた 2000年筆 野本) <<前の記事へ 次の記事へ>>