No.153 春高怪物列伝・秋本久次 先輩


★ 1、小、中学生を育てる サッカーにせよ、野球にせよ、どんなスポーツでもそうだが、 幼少のころからの親しむ環境でその地域の競技層の厚さ、人気度は決定着けられるだろう。 あるプロスポーツのように、いきなり「強い選手」だけを青田刈りして作ったチームでは 人間は育たないのは必然。 さいたま地区に代表されるように、サッカーに携わった少年たちが 今のさいたまのサッカー人気を支えているのである。 秋本先輩は教育者として地域と協力し、小中学生を集め 陸上教室や記録会を頻繁に開催したと聞く。 先輩ご自身の出身地区であるこの三郷地区。 その中学教頭先生時代に森丘(高40回)が教えを受けた。 レベルの高い環境で、森丘は中学時代800mですでに2分を切るまでになった。 そして中学陸上の顧問(春高陸上部OB)から「春高へ行け」と勧められた。 「春高へ行けば小原先生がいるから、そこで頑張れ」といわれたらしい。 (実際には森丘入学と同時に入れ替わりで三代目監督は竹村さんに。 しかし小原先生がいても森丘は400m、400mHをやっていたであろう。 その当事、春高の得意種目であったから。インターハイの400m、400mHで奥谷さん(30回) 佐川さん(34回)鳥海(40回)塩川(41回)とわずか10年ほどでのべ5回入賞、 3回表彰台を獲得したのだから。) そして森丘は高校、大学、そしてその競技情熱は冷めることなく県選手権の覇者に。 そして「研究者」にまで到達した。そう、すべては三郷陸上教室からスタートしたのである。 元来優れた身体能力適性を持っていた選手が、春高でその才覚を開花、大成させた。 そして埼玉の、日本の陸上界に精通する働きをする。 つまりダイヤの原石を早くに発掘できれば、早い時期から陸上界に、地域に貢献する。 そしてその教えに影響された若い芽が羽ばたき、有意義な影響が波及していく効果が生まれるのである。 プラスのスパイラルだ。 ★ インターハイ大会新記録 の怪物 いまさら言うまでもないが、OB会副会長の秋本久次先輩(高11回)は、 後藤先輩に次ぎインターハイ二人目の覇者である。インターミドルの橋本先輩を入れて三人目。 円盤投げ47m超えの大会新記録で勝った秋本先輩は、当事毎年入賞を続けていた我が校陸上部にとっては、 3年振りのインターハイ表彰台であった。 現OB会長の杉崎先輩が3年のときの新入生にあたる。 この山口下関インターハイは、石井弘道先輩の三段跳 14m82(2位)  大木茂男先輩の100m 11"2(6位)とともに、 インターハイとなってから初の総合6位入賞、フィールド優勝をはたした記念すべき年である。 旧制中学時代、橋本 純先輩 円盤投 29m13(優勝)竹村保正先輩 走幅跳 5m88、 田中 猛先輩 槍投 41m38(ともに4位)山本隆通先輩 400m 55"5(5位)ら 屈強なメンバーで京都西京極においてインターミドル5位以来の総合入賞となっていらいである。 第11回関東高校対抗選手権大会 100 A 11.3 大木 茂男 200 @ 23.0 大木 茂男 400 B 53.4 針ヶ谷哲夫 110H A 16.4 山野井長治 110H B 16.4 大木 茂男 200H A 27.4 山野井長治 4×200 @ 1.35.9 兼子、針ヶ谷  助川、大木 走幅跳 A 6.68 石井 弘道 三段跳 A 14.33 石井 弘道 砲丸投 @ 13.52 秋本 久次 円盤投 @ 44.94 秋本 久次 円盤投 B 38.43 金子 信夫 やり投 @ 53.91 佐藤 政宏 やり投 C 46.98 中村 孝夫 保投 A 49.90 折原 悦夫 保投 D 46.83 関根  侑 第11回全国高校対抗選手権大会 100 E 11.2 大木 茂男 三段跳 A 14.82 石井 弘道 円盤投 @ 47.29 秋本 久次 「いやあ、野本君。オレはね、中学では野球やってたんだよ。はっはっは!」 そう豪快に明るく言ってのける秋本先輩は、御歳60歳を軽く超えるとは思えない 身体をしておられるように見えた。私も決して小さくはない(177cm)と思うが、 握手をするとその手の厚みと力にまず驚く。 上背も明らかに私より大きい。(私がたるんだ中年というのもあるが・・) この感触は、前会長の後藤先輩もそうであったが、投擲の一流どころに共通したものなのか。 ★ 地域陸上教室の目指すもの この三郷地区からは多くの逸材が発掘されている。 たとえば、高橋萌木子 選手 (三郷市早稲田中学)。森丘の中学の後輩にあたる。 中学にはソフトボール部しかなくて、陸上教室で小学生から学んで、才能を開花させたと聞く。 後藤と同学年の彼女は、全国中学選手権北海道大会で100m3位、200m優勝。 (同大会、男子100mは後藤が優勝)埼玉栄入学後は、ご存知の通り破竹の勢いで連戦連勝の無敗。 インターハイ100m3連勝もかかっている、もはや無敵の高校生となった。 適正をみつけ活躍できた選手も大事だが、ここでもうひとつ重要なファクターがある。 頑張ったけど脚光を浴びなかった選手も必ず大勢生まれるということだ(つまり私のような存在)。 しかし、それも大きな意味があるのだ。 「勝てなかった・・・ヒローになれなかった・・・」 という経験を学生時代にすることで、さまざまな教訓を学ぶ。 「才能の問題か・・」「努力が足りなかったのか・・」 「でも負けたくない・・」「身の丈でがんばってみよう」とその後の様々な人生の糧、基準となるのだ。 むしろ一流になれなかったことの受け止め方に、大きな価値があるように思う。 これは先述した、駒崎先輩(東部高体連会長)のお話にも通じる。 どの世界でも一番多いのは私のような「普通」の人間なのだから。 37回  のもと歯科クリニック

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