No.155 赤き疾風 満身創痍  雨中の後輩達-2


★ OBであることの誇り 私はこの「後輩活躍記」を書くようになって、いくつか思うことがある。 ひとつは、少数ではあるがHPを見て読んで下さるOBがいて、 そして現役に対する更なる協力を頂けた事に、大変感謝している。 ふたつ目は、自分も「赤シャツ」を着て、雨風の中、二年半の間、 頑張ってよかったと痛感している。 これが「同じ釜の飯」を食った仲間にしか持ちえぬ共感なのだ。 この15年間で私は、竹村さんに春高会を、大塚さんにクリニックの準備を、 高野監督にOB会役員に招き入れていただいた。 OB会に参加し始めたとき、私は大きく心を動かされたことがあった。 「関東最強の赤シャツ軍団」を築き上げた先輩方は、 きっと厳格で規律正しく、とても自分のような腑抜け(ふぬけ)は 直立不動していることになる・・・・と、勝手に想像していたのだ。 しかし、実際は180度違った。 「いや〜、君が野本君か。歯科医院やってるんだって? 若いのに頑張ってるねえ(笑)」 ・ ・・・そう豪快に笑って話しかけてくれる初老の紳士たちに、 ・ 私は肩の力が、ストーンと抜けた思いであった。 同時に「・・・なるほど・・・これが80年春高陸上部が続く理由か・・・」 と確信した瞬間であった。 私が友人の瀬上祐司(最も新しい春高全国チャンプ)であろうものなら、 堂々と参加もできよう。しかし私は全くの無名、戦跡なし、功労なし。 教員でもなく、埼玉からも離れて東京、千葉に10年以上も住んでいた 「浦島太郎」である。 それを、自分の甥か孫のように、あれだけの笑みで 屈強なる先輩方に歓迎された時、震えた。 親の歳ほどの先輩方の器の大きさ、 そしてそれをじっとニコニコしながら見つめる名伯楽・関根御大の懐の広さに 「やられてしまった」のである。 ・ ・・「この人たちはすごい・・・」 春高の高校陸上界の強さは学生時代から知ってはいたものの、 貢献していない劣等感を持っていた。 そのOBとして存在できる事に、大きな誇りが芽生えた瞬間であった。 ★ 応援する・・・とは 私には、ある球団が「強いときだけ」人数が増えるプロ野球ファンや、 サッカー選手が「失敗すると卵を投げつけたり暴れたり」するサポーターの心理が理解できない。 ファン=その選手たちを愛すること・・・ではないのか? そのサッカー選手の親は、息子がシュートを外したら、 怒号を浴びせるだろうか? 息子が三振したらヤジを飛ばすだろうか? 我々OBは、選手が負けたら少なくとも一緒に心を痛める。 私の知る限りのOBはみなそうだ。 全国を制した人から、東部の予選で終わった選手まで、 みな同じ気持ちだと思う。 自分が経験しているからこそ、身にしみて解かっている。 ここがプロスポーツのファン心理と、なかば親が子を思うような OBとの応援の仕方に決定的な差を生む。 陸上王国埼玉の東部に始まり、千人からたった6人の代表を競う県大会、 さらに進めば猛者たちが集まる関東がたった一ヵ月後にやってくる。 それをクリアできるのはまたわずか6人。 一月半後には猛暑の中、ほとんど負けたことの無い 日本中の怪物たちと戦わねばならない。 ・・・・気が遠くなるほどの難関だ。 記録の優劣は時代背景、栄養状態、トレーニング方法が異なるので 比較はナンセンスなのは言うまでもない。 50年前でも30年後でも、その難易度は変わらないのである。 みな、受験を経て入学してきた。中学時代のスポーツ優遇は無い。 大学受験を最優先に考える親がいるのも当然だろう。 勉強の支障になるから、本格的な部活動はやめろといっても何の不思議も無い。 しかしその少ない時間から、練習に励み、切磋琢磨して二年半を乗り越える。 現役で希望校に合格する選手もいるし、浪人して希望大学に進学する選手もいて、 家庭背景も交えてこれまた様々である。 そういう事を、数年前、数十年前にすべて経験してきて、 似通った環境の後輩を、我々は理解しているのである。 そして学生が終わって、社会人になればまさに生活をかけた 死活問題の「ほんとうの厳しさ」が、卒業後にあることもわかっている。 社会に出れば、理不尽なことは毎日のようにある。 しかし、クラブ活動をやり遂げた学生なら きっと大丈夫だと確信もしている。 これは嵯峨根先輩と共通した意見だ。 その3へ 37回  のもと歯科クリニック

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