No.162 赤き疾風完結5  臙脂の旗 メインポールへ


★ 中学、高校連覇の「奇跡的確立」 後藤 均さんら大先輩方、大塚さん、吉田、中山らとがっちり握手をした。 応援指導部など、春高の先生も応援に来て大騒ぎだった。 後藤のご両親もお見かけしたので、「おめでとうございます」とご挨拶をした。 昨夜は後藤が体調を崩し、嘔吐までしたのだから、さぞやご心配であったろう。 しかし、さすが・・・と思った。 好記録を持つ人は毎年出るが、勝負になると全く別の問題である。 昨年の千葉も今年も、選手のピーキングを きちんと合わせてこられる大塚さんの指導もすごいと思った。 後藤は大試合の決勝から漏れたことがない。 中学3年生から今まで、入賞を逃した試合 (リレー要員で中学生にして高校生と走った少年Bの国体は別として) というのはないのではないか。 単純に「強いから」という言葉だけでは語れないものがある気がする。 後藤 均さんの言葉を思い出す。 「いいかい、野本君ね。記録を出す事と、勝負に勝つという事は 全く別物なんだよ。ここ一番の大舞台で力を発揮できる事が大事なんだ。」 インターハイ、インカレ、日本選手権、日本記録と 国内のタイトルは全て獲得した後藤先輩の重みのある言葉だった。 なるほど、100mで幾度も「世界で一番」を獲得できる カールルイスや、モーリスグリーンのように 「選ばれし者」は存在するんだと思う。 世界の人口は60億もいるのに。 ちなみに全中の100mで勝って、インターハイ100mも勝てたのは、 過去2人だけ。不破選手(農大二)と、相川選手(市船)である。 それくらい鳴り物入りの中学チャンピオンが、 3年後100mで勝つのは難しい。 多くの選手が中学時代の記録を更新できなかったり、 練習環境が変わって動きがちぐはぐになったりするのかもしれない。 15歳での早熟な筋力で終わることなく、 確実に適材適所なメニューを組み入れた緻密なトレーニングを 消化してきた証である。ケガの管理、心身の管理も含めて、 大塚さんの心血を注いだ指導が実を結んだといえよう。 ★ 表彰式での「春高部旗」メインポールへ 最初、「リレーがあるから表彰式はキャンセルさせるよ」 という監督の案だったが、「表彰までいなければいけないらしい。 写真たのみます」ということだった。 たしかに100mのチャンピオンが欠席の表彰式は メディア的にも困るのだろう。 石上と私はスタンド前列に陣取った。 女子100mの表彰が先に行われ、モモコファンが押し寄せた。 やや遅れて、我らの赤シャツが表彰台に現れた。 「おめでとー後藤―っ!」 スタンド後席から後藤 均さんら先輩方が大きく声を上げてくれた。 いつも冷静な紳士である先輩方にしては珍しいと思った。 それくらいうれしかったのだと思う。 私は、「後藤、こっち向いてっ」 「賞状で顔が見えないよお」 ・ ・・などと、色々大声で写真を撮りながら叫んだ。 もし「・・・うざい」と後藤に嫌われたらどうしようと、 少々びびりながらシャッターを切った。 石上に部旗掲揚のシーンをデジカメに納めてもらった。 「校旗掲揚。みなさまご起立ください。」 高体連の音楽とともに、われらが「春日部高校の臙脂の旗」が するすると登っていく。 ・ ・・・「ジーン」ときた。 感無量であった。 大塚さんも、瀬上が挑戦した時の私も、2位であったため メインポールに旗があがるのは見ていない。 後藤 均先輩だけがメインポールの旗を見ただけなのだ。 我々以上に感慨深いものがあったのではなかろうか。 我が校は「かけっこの日本一」を獲ったのだ。 つづく

<<前へ 次へ>>