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No.18 五輪の象徴 カール・ルイス 2



五輪の象徴 カール・ルイス 2

   3,ベンジョンソンとの闘い 最初の試練はベン・ジョンソンとの勝負であった。世界陸上87ローマ大会で始めて 後塵を拝する事になる。ロス五輪の100m3位だったベン・ジョンソンだが、しか も9秒8台の世界新も付いての敗退。全世界が驚愕した。ベン・ジョンソンは一躍「時 の人」になった。翌88年ソウル五輪にルイスは雪辱を誓う。 しかしここでもベンにしてやられた。しかも9秒79の大記録誕生。べンの超ロケッ トスタートは一度も失速する事無くゴールした。(大学の試験が終わった後、見てい た私は鳥肌がたった。)スローで見るとルイスはベンの背中を3回目をやり、最後1 0mであきらめたのが分かる。それでも9秒92。しかし、これが後に世界記録に押 し上げられる事になるとは・・・。   2日後の早朝、「筋肉増強剤スタノゾロ検出!ベンは失格!!」の速報に世界中が震 撼した。ベンもそれを認めメダル剥奪、競技追放に。晴天の霹靂でルイスに金メダル がスライドした。2位は今後ライバルとなるL・クリスティー(英)、3位は高地の世 界記録9秒93のC・スミス。しかし精神的にレースで負けたショックは癒えず、2 00mでは19秒8台ながらで2位。最悪だったのは、ルイスを含まない400mR予 選で、アメリカはバトンミス失格となってしまう。・・なんとも後味の悪いソウル五 輪で金2個、銀1個にとどまる。(ジョイナーはすごかったが・・) 4,無冠の帝王、限界説 ソウル五輪が終わった80年代、100mの繰り上げ世界記録9秒92はあったもの の、他に世界記録をルイスは持っていない。200mは19秒75を持ちながらラス ト流して新記録ならず。幅は数cmオーバーでファールながら9mを越えた事もある が、公認ではあくまで「平地の世界記録」でしかない。ソウルで走っていないために、 400mRも記録はフランスのものに。そして名門サンタモニカクラブの後輩、L・バ レルに9秒90で世界新を塗り替えられた。・・・全ての記録を失って、あの屈辱の ソウルから3年。年齢でも「衰え」「限界」を囁かれ始めた時、あの「第3回199 1東京世界陸上」がやってきた。 バブル期の日本、競技場は「超高速トラック」に張り替えられ、スポンサー 盛況だった。幸い風も、男子100mだけは「神風」が吹いてくれた。(女子短距離 や、Mジョンソンの200mではマイナス3m!だった)準決勝から100mは9秒台が 連発され、異様に盛り上がった。そしてナイターのカクテル光線の中での、「歴史に 残る100m決勝」が始まった。 筆  のもと歯科 (2000年) <<前の記事へ 次の記事へ>>