No.188    池田久美子の軌跡 1


池田久美子の軌跡 1 ★ 栄光からのスタート 男子400mHの為末選手のように、「規格に収まらない」才覚の選手は、女子にも存在する。 幅跳び、100mHの中学記録を今も保持する「池田久美子」選手。 彼女もまた、栄光の中学時代から環境の変化や故障で伸び悩んだ。 そして、それらの苦境を乗り越えて、もう一度「復活」した日本の生粋のエースだ。 テレビ風に言うと「アジアの真珠・池田久美子選手」も、決して順風満帆ではなかったのである。 ★ 12歳で「全国制覇」 戦争がなければ開催されるはずだった1940年東京オリンピックの、男子110mH代表候補だった池田彌さんを祖父に持つ。 その血統を継ぐ池田選手が全国デビューしたのは、国立競技場で開催された「全国小学生大会」。 幅跳びで早々に5m14で優勝。この頃から6mへの夢が芽生えたという。 わずか12歳にして「競技意識」を持ち始めた天才少女は、練習に意欲的に取り組んでいく事になった。 ちなみにこの全国小学生・日清食品大会で、池田選手に現日本トップのスプリンター末次選手は 記録で負けてしまい、ショックで幅跳びを断念したというエピソードがある。 ★ 「無敗」の栄光と初めての故障の狭間で 成長期と共に、うなぎ登りに記録も伸びた。 中1の夏には、すでに5m92まで届いていた。 しかし13歳の筋力には、6mジャンプの負担が大きすぎたのか、「腰痛」に悩まされる事になった。 走るのさえつらい時があったという。 しかし「大器」は、そんな環境でも5m78で全日本中学を制覇する。 しかも「史上初の中1チャンピオン」の誕生。 年齢の差が最も筋骨に影響する時期に勝ってしまう神業を見せた。 優勝した事よりも、こんな状態でも頑張れば切りぬけられるという「精神」を学んだという。 中1での最高は5m97、もちろん学年別世界歴代最高である! 中2になると今度は重度の貧血に悩まされる。ヘモグロビンが通常の半分しか無い。 治療を受け、何とか乗り越えた。 全中も始めて6mを越え2連勝を飾る。いよいよ「3連勝と新記録」への期待が高まる。 この年の最高は6m04で中2歴代2位(歴代1位は中学記録の高松選手の6m14) ある意味、まず人生最初のピーク期を中3で迎える事になる。 シーズンインから好調で、日本選手権も6m07で4位に。 県大会で6m12と、更新にあと一歩と迫る。 しかし意外にも100mHで、7月から14秒01、13秒82と中学最高をあっさり更新してしまう。 165cmの身長とバネには、中学生の100mjHよりも相性がいいらしい。 迎えた10月の福島国体で一気にブレイクする。 まず100mHで追い風参考2.4mながら13秒64と高校1年生の先輩を押さえて圧勝。 インターハイでも即通用する実力を、すでに発揮して見せた。 そしてついに、幅で6m16をマーク!念願の中学記録を更新した。 しかも6本中5本が6mオーバーの「各の違い」を見せつけた。 ライバルは自分の記録だけ。・・・しかし記録更新は、これだけで終わらなかった。 11月の海外試合となる台北で、さらに飛躍を見せた。 まず100mHでは更に更新。 「若さ」はプレッシャーでなく力を与えた。 向かい風4.1mをものともせず13秒78まで到達した。 中学歴代2位に0.5秒もの差をつける、飛びぬけた中学記録の誕生だ。 勢いは止まらず幅跳びでも6m19。5センチもの更新。 中学時代の記録     幅跳び       100mH、100mjH 中1 5m97(学年最高) 14秒2(学年最高) 中2 6m04(学年2位) 14秒50(学年9位) 中3 6m19(中学記録) 13秒78(中学記録) 中学1年(12歳年齢別世界記録となる)5m97を筆頭に、前人未到の中学3連覇、2つの中学新記録など、すさまじい成長をとげた中学時代であった。 2007年女子 100mH記録 記録 タイム 名前 所属 日付 世界 12秒21  ヨルダンカ・ドンコワ   ブルガリア    1988年8月20日 世界Jr 12秒84  A・ロペス         キューバ    1987年7月16日 アジア 12秒44  オルガ・シシギナ     カザフスタン   1995年6月27日 日本 13秒00  金沢イボンヌ       佐田建設TC    2000年7月16日 日本Jr 13秒44  森本明子         埼玉栄高等学校  1994年6月17日 高校 13秒44  森本明子         埼玉栄高等学校  1994年6月17日 中学 13秒78  池田久美子        酒田市立第三中学校 1995年10月28日 筆 のもと歯科  その2へ

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